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「最近の江戸は狂っておりますな」
「がははっ、何だ萩原。土地が狂う──とは矢庭な物言いをするな」
青年のどんよりとした声音に、連れ立つ男が対照的な陽気さで応じた。
春を忘れたかのように、あるいは青年の心を映したかのように、お江戸の空が曇色に染まっている。しかし、ここは江戸の町民文化と商業の中心地である日本橋。空は暗かれども行き交う人の数は夥しく、色とりどりの品が町を飾り立てる。
沈んだ様子の青年の名は、萩原源九郎。小振りに結われた小銀杏髷に黒羽織、渋めの梅幸茶色の着流しという一目で町奉行所の役人とわかる風体をしている。
面立ちは一見りりしく整っているが、気苦労がたちまち表情に現れるたちなのだろう。その眉根は絶え間なくしかめられていた。
一方、連れだって歩くがたいの良い男。こちらはまるで正反対──風体こそ源九郎と同じく同心のそれであるが、着流しの色は鮮やかな朱色。
体躯はかの武蔵坊弁慶を彷彿とさせるような剛健さで、背の丈は六尺近い大男である。
この男、佑森禄郎といって源九郎の先輩同心にあたる。
「狂っているとしか言いようがありませぬ。先日の千鶴屋の凄惨な殺しの一件。それに加えて、今回の御坂屋の騒動。どちらも正気の沙汰で起こることではないでしょう。そして最近巷を賑わす千耳天狗。まるで見世物小屋の三文芝居。実に悪趣味この上ない」
「そうは言うなら、狂っておるのは土地ではない。人だな」
佑森がぼりぼり顎をかきながら、にやりとした表情を浮かべる。
「いいか、萩原。江戸に限らず、人はある程度の数群れれば、その中で何かしらの間違いを起こすものだ。ちと今回は立て続けに酔狂な騒動が起こっているかもしれぬがな。これ位でぼやいていては、この先定廻り同心なんぞやっていけんぞ」
「それはそうかもしれませぬが──」
萩原源九郎、そして佑森禄郎は、江戸南町奉行所の定廻り同心である。
とはいっても、源九郎に関してはまだその肩書きに仮がつく。
建前は一代限りとされる同心のお役目であるが、実質は世襲制。つまり親が風烈廻り同心をやっていたならば、子も同職を告ぐのがしかり。
それは定廻り同心も同じことなのだが、若干事情が他と違ってくる。何せ市井を足しげく巡り、悪行あらば時に命を賭してもそれを払う難儀なお役目だ。
しかもそのお役目の重さに比して、配される人員は南北の奉行所に六人ずつ。双方合わせてもたった十二人である。
そのお役目をこなす為には、相応の経験が必要なのは言うまでもない。
それゆえ、定廻り同心の子息というのは別のお役目で同心として、また人としての長い研鑽を重ねた後にようやく跡目を継ぐ例が多い。
定廻りが奉行所内でもひときわ平均年齢が高いのはその為で、同職内では三十半ばの佑森する若者の部類である。
しかし、源九郎の場合、定廻り同心であった父の源吾が先年の大火事で早逝した。この頃の彼は、市井の荷の積み重ねを監査する高積見廻りのお役目に就いてから二年。まだ二十二歳の若さである。
とはいえ、父の穴を源九郎が埋めなければ、定廻りのお役目は早々に別の者に割り当てられることになる。
源九郎としては、別に定廻りの職へのこだわりはなく、それを返上して高積見廻りを続けることも厭わなかったのだ。とはいえ、母や親戚筋はそうは考えない。
「萩原家は代々定廻りのお役目をこなし、それに誇りを」云々説き伏せられ、源九郎の思惑を無視して、佑森の元で定廻りとしてのいろはを学び、一人立ちするという話が早急にまとめられた。
「しかし、早いな源吾殿が亡くなってから一年と少しか」
佑森が感じ入るように呟く。
「あの方が存命の頃は、儂もだいぶん良くしてもらった。それを思えば、その息子のお前にこうしてお役目の手ほどきをできるのは感慨深い」
「父とは気がお合いになったのでしたね」
「年頃はだいぶん違ったものの、まるで竹馬の友であるかのように馴染ませもらった。お役目も、遊びの方もな、がははっ」
父である源吾とこの佑森には、たしかに似通った空気があると源九郎も感じていた。
つまり、苦手である。
どちらも自由気ままかつ破天荒。思考も行動も予測がつかない。
「そういえば、お主はあまりお父上の話をせなんだが、反りが合わなかったか?」
正直に苦手であったと口にするわけにもいかず、適当にはぐらかす。
「反りが合わないという程でもありませんでしたが、某が饒舌なたちではありませぬゆえ、交わす言葉数は自然と少なかったかと。そもそもあまり家に寄りつかぬお人でしたし」
「お役目に熱心な方だったからな。帰宅する暇もなかったのだろうよ」
口ではこう言っているが、佑森も源吾が家にいなかった本当の理由はわかっているだろう。お役目──それもあろうが、源吾は老いてなお女遊びに飽きず、足繁く遊所通いをしていた。外に囲っていたという噂の女もひとりやふたりではない。
言ってしまえば、女狂いだったのだ。
母は「お役目をまっとうして家を安泰とするならばそれで良し」と源吾の気質を許容する物言いをしていたが、夫不在のの家でしばしば涙を流していたのを源九郎は知っている。
故に父が死した時も、正直彼は複雑な胸中であった。
「ところで萩原、気づいておるか」
「はい、後ろですね」
一転して、佑森の声の調子が一段低くなった。
先刻から、長らくこちらを尾けていている者がいるのは源九郎も悟っていた。
「お役目柄、恨まれることは少なくないがな。真っ昼間から物騒なことだ。風体はわかるか」
「一見、若衆のように思えますが……女人かと」
不自然でない程度に後ろを窺い、源九郎が答える。
尾行者は、奇妙なことに日本橋の往来の中で一際浮きたつ格好をしていた。武家の元服前の男子が着るような格子染めの柔らかな着物に袴、そして藤色の頭巾で顔面を覆っている。
その体の線からは、隠しきれない女の匂いがあふれていた。
「男のいでたちをした女人か──これは、何ともそそられるものが……」
「こんな場面で鼻の下を伸ばさないで下さい。何か心当たりはありませぬか?」
「心当たりとは言ってもな。先も言ったが、お役目柄恨まれることはいくらでもあろう。そもそも儂でなく、お主を尾けておるのかもしれぬぞ」
「某にもこれといった心当たりがありませぬ」
「いやいや、男の着物に身を包んだ女人というと、おそらくは芸人の類だろう? 聞いたところによると、お主は奉行所に出仕する前、それなりにやんちゃしていた頃があったというではないか。行きずりにそんな女と、妍艶な関係に溺れたことがあったのではないか。ほれ、頭は忘れていても、体が覚え──」
「……かち割りますよ」
「冗談だ冗談。笑い飛ばせないところを見ると、お主本当に過去にやましいところでもあるのか? うぉう!」
上司の頭を小突こうとした源九郎の手を、佑森が避ける。がたいの大きさに関わらず、俊敏な動きである。
「ところでどうするんです。このまま御坂屋に入るのは、迷惑がかかります」
源九郎と佑森は、廻り筋にある店のひとつの御坂屋に行く道中であった。
「そうさなあ。人気のないところに誘い出してじっくりわけを聞くのも良いのだが、生憎今は時間が惜しい」
「ではどうします?」
「任せとけ」
ふたりの足が、日本橋界隈を南北に分ける橋立に入り込む。
日本橋という大層な名称に違えず、その橋立は幅四間二十五寸、長さ三十七間四尺五寸にまで及ぶ大橋である。
その半ばまで歩を進めたところで、佑森が大きく息を吸い込みながら、叫んだ。
「我は南町奉行所定廻り同心、佑森禄郎であーる!」
耳をつんざかんばかりの声量とその所為に、源九郎はぎょっとする。当然のことながら、往来を行き交う人々の目線が一様にこちらに釘付けとなる。尾行者もしかり──
佑森はにやりと不敵な笑みを浮かべると、さらに声量を高めた。
「この世の定め、諸行無常の理ゆえんに、今、我に言葉にできぬ怨恨の念をぶつける者ありと確信す! 聞け!! 我は逃げぬ! 我はこの心の臓を隠さぬぞ! この大腕で汝の無念・未練すべて受け止めてしんぜよう! 己の手を汚してでも、所願満たさんとするならば、堂々と前に出よ!」
──何をしておるのだ。この人は……!
源九郎は頭を抱えかけたが、成る程賢いやり方かもしれない。
この場面で、尾行者に「お前の存在などお見通しだぞ」と強調すれば、相手も何かしらの動きをせねばならぬと考えざるをえまい。
もし尾行者が、あくまでこちらの追跡のみを目的としていたならば、一目散に逃げ去るだろう。もし自らの手をこちらを傷つけんとしていた場合は──今やらねば、機を逃すという強迫観念を相手に植え付けることができる。
安易な誘い出しに思えなくもないが、尾行の様子からして、相手はさほど場慣れした人間ではないだろう。
案の定、尾行者は動いた。
即座に小太刀を抜き放つと、一挙にこちらに向かって突っ込んできたのである。
気づいた通行人が悲鳴をあげて、道を開く。
魚売りが手放した棒手から、魚が飛んで宙を舞い、鱗がきらりと光った、
源九郎は、佑森の盾にならんと前に出たが、即座に襟首を掴まれて後ろに回された。
「せっかくの座興よ。儂に譲れ」
がははっ、とやはり豪快に笑うと佑森は手を大きく鳴らして身構えた。その弁慶のような外見で悠然と相手を待ちかまえる様は、相手に畏怖の念を与えるに十分なものだったが、尾行者はただまっすぐに向かってくる。
それだけの決死の思いで向かってきている──ということか。
頭巾の隙間から相手の瞳が覗いた。
驚くほどまっすぐな瞳をした女であった。
一瞬、場にそぐわぬ感情が源九郎の頭をよぎったが、その瞬間に尾行者と佑森が交差する。
「あ、間違えた」
佑森の間の抜けた声が聞こえた次の瞬間、大きな水音が響いた。
──もう一年前のことか。
あれは、まさに地獄だった。
四方八方、火、火、火。
町並が一様に紅蓮に染まってな。
普段だったら「火事と喧嘩は江戸の華」とか啖呵切って人事みたいに野次馬決め込む連中も、顔色失って我先にと逃げ出しやがるのよ。
それだけ、あの時の火は無茶苦茶だったってことさ。
まるで意志を持っているみたいに市中をのたうち回って──本当にどこぞの阿呆が地獄の釜の蓋でもこじ開けちまったんじゃないのかね。
ひどい光景だった。
どいつもこいつも、自分勝手に互いを押しのけ、振り払い、しまいにゃ罵り嘲る。
大八車が横なぎに倒れて人を潰し、親の名を呼ぶ子が泣いた。
弱々しく助けを求めた老人の手を、平素ならば眉目良いともてはやされているような小町娘が化け物のような形相で拒む。
家は火に喰われて、まるで紙細工のように潰れていく。
ん、俺はどうしていたのか? その口振りからすると当然そこに居合わせたんだろうって?
ああ、そうだな。たしかに俺はその場にいた。
──蚯蚓みたく地を這っていた。
無論好きこのんでのことじゃあない。
運悪く体勢崩して、倒れちまった。あとはわかるだろ? 後ろから来た連中に強かに四肢を踏まれて、まともに動くこともできやしねえ。
助けが欲しくて誰彼となく声をかけたが、薄情なもんさ。揃いも揃って、誰一人として振り向きゃしないのよ。
言っておくが、恨んじゃいない。あんな状況で、自分以外の命《たま》にかまっていられる聖人君子ぶった奴、逆に気味が悪い。
まあ、ここで終わるのか──と一瞬、唖然としたのもたしかだ。
しかし、不思議なもんでな。俺ぁ、その時、格別に命が惜しいとは思わなかったんだ。
ん? そんなわけはない?
いや、本当だ本当。
そりゃ、俺はまだ若い。見苦しく小便でも漏らして、命惜しさにあがくべきところだったんだろう。
けど、その時の俺は、状況を驚くほどすんなりと受け入れていた。流れに身を任せる気分になっていた。
思うに常世と地獄が直に継ぎ合わされたかのような、あの惨状を目の当たりにしていたからだろうな。
常世も地獄なら、あるいは向こうの方が居心地良いかもしれねえ──そんな考えすら浮かんでいた。
さて、ここからが話の本題だ。
ふと気づいたら、不思議と周囲の人の波が引いている。眼前では、めらめらとひとつの店が火を噴き上げていた。
滑稽なことに、眼前を鴨やら、雁、果ては見世物小屋でしか見たことないような孔雀やら、禽鳥がわらわら横切っていくのよ。
今までお目にかかったことのないような、目に痛い色を放っている奴もいた。
いよいよいもって極楽浄土が近づいてきたか──そう思ったよ。
けど、違ったんだな。大火のあった本郷には、大名連中ともやりとりのある大きな禽鳥屋があっただろ。おそらくは強まる火の手にむざむざ商い物を焼き鳥にする位ならと、主が籠を開け放ったんだ。
とはいえ連中、まるで事態を理解していねぇ。
まあ、所詮は鳥頭。外になんざ放たれても勝手がわかるもんでもねえ。逃げ出すでもなく、おろおろと同じ所を回るばかりだ。
見ていて哀れなもんだったが、突然その歩みがぴたりと止まった。
一様に轟轟と燃える、火の一点を静かに見つめているのよ。
まるでそこに、甘美な何かが潜んでいるのを見出したかのような期待に打ち震える面相だった。
何? 鳥の感情なんてわかるのかって? いや、自分でも信じられなかったがな。
常日頃、無表情にしか見えない鳥どもが、あの時は確かに明確な感情を放って見えたのよ。
そして次の瞬間、信じられないことが起こった。
禽鳥の群れが大小問わずに、天蓋を打ち破る勢いで飛び立つと、店を蹂躙し尽くした火の渦に、自らその身を投げ入れたんだ。
……わけわからないだろ?
耳に絡みつくような、禽鳥達の最期の嘶き。周囲には、夥しい量の羽が、美しく舞い散った。
時を待たずして、周囲に焼け焦げた肉の異臭。
わけがわからなかったね。
禽鳥達が何に魅入られたのか──火に飛び込めば、どうなるか。獣といえども本能で悟っていたはずさ。
それでも、奴らは率先して「死」を選んだんだ。
俺とて、諦念に身を苛まれてはいたが、あくまで成り行きに身を任せようと思っただけさ。自ら「死」に飛び込む連中の気なんぞ知れたものじゃねぇ。はてさて、あの禽鳥の一団は、死の先にある何に魅入られたのかね。
わからないし、わかってはいけない気がする。俺には死ぬわけにいかない理由《わけ》も出来ちまったしな。
そんな狂気じみた舞台を目の当たりにして、俺はしばし固まっていた。
どこからか、火消しの猛々しいかけ声が響いてくる。
はらり、と画紙が降り注いだのはその時だ。載せたての墨に面を濡らした画紙が、幾枚も幾枚も、次々と舞い落ちる。
何故こんなものが──
そんな疑問と共に、それを手に取った俺は絶句した。
──町並を紅蓮に染め上げる獄火。
──生への執着に、顔面を歪める人々。
──今し方の異常な禽鳥達の自死。
この場で起こった事象がそのまま、いや、それ以上の凄みをもって平面に写し取られていたんだ。
どうしようもなくて醜くて、どうしようもなく美しくもある。
うまい表現が見つからないが、まあ、身も蓋もない言い方をすると、ぞくぞくしたな。
俺は格別に絵がわかる人間というわけではないんだ。時折、ふらりと絵双紙屋を冷やかす程度。
だが、一目見た瞬間、確信した。
──これは、本物だ──
体を奔る悦とした感覚が止まりやしねえ。
俺は、求めた。
昂ぶっていた。
諦念なんぞ吹き飛んでいたよ。
こんな状況の中で俺の血肉を湧き躍らせた絵の主を──この絵の描き手を、見つけねばならない。
そして、俺を、俺を、俺を、俺を、俺を、俺を、俺を俺を俺を俺を俺を────
そいつがどこにいるかはすぐにわかった。
火事場に捨て置かれた大八車。
その上に積まれた長持ちの上で、一人の野郎が画帖に筆を奔らせていた。野郎……って、いってもまだ餓鬼だったかな。
いやさ、はっきりしねえんだよ。煙と熱気が視界が霞んじまって──降り注いできた画紙だって、たちどころに煤に染まっちまう。
ただ確かなのは、そんな命危ぶまれる状況下、一毫の怖れもなく奴は描き続けていた。
いかれているだろう? まあ、世の中には自分が死ぬわけがない──っていうくだらない勘違いをしている輩がいるにはいる。
だが、あの火事場はとてもそんな夢想をしていられる処ではなかったんだよ。
それでも、奴は描いていた。いや、おそらくはあの時、あの場所で、あんな狂相が起こっていたからこそ、奴はあそこにいたんだろう。
ありゃ、鬼だ。
この世の壊乱を筆録するために現れた、地獄の鬼。
──画鬼。
画《えが》く鬼。
常世の者であの筆から逃げられる者は、どこにもいやしねえ。
断っておくが、たとえだぞ、たとえ。そんな顔するなよ。
まるで俺まで狂っている、とでも言いたげじゃないか。
そう、とにかく奴はあそこにいたんだ。
あんな、面白えものが、まだこの世の中にはいたんだ。
だから、俺はもはや動かぬと思っていた体を這わせて奴に叫んだのさ。
──俺を────────くひゃひゃひゃひゃひゃ────────
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──もう、半年前になりますか。
あれは、確かに奇な光景でしたよ。
江戸じゃ、怪異というものは、けして珍しくないと思いますがね。それにしても、あそこまで白昼堂々現れるのは珍しいもので。
ほんと、何の手違いでしょうかね──よりによって大伝馬町ですよ、大伝馬町。江戸一番の問屋街じゃないですか。当然、人の量だって並大抵じゃない。
そこを天狗が疾駆しちまったんだから──
まあ、昨今の江戸はおかしいですよ。一昨日起こったという深川の遊女殺し──あの一件だって、噂、本当なんでしょ?
ああ、やっぱりそうなんだ。それに日本橋の旅籠、あれも奇妙奇天烈な話です。
え、何? 口ぶりの割に嬉しそうだって。いえいえ、そんなことはありませんよ。私、いたって善良な江戸っ子ですからね。
ええ、ええ、あの大伝馬町の騒ぎの時は、私は間近で拝見させていただきました。
高々とした鼻梁のそびえ立つ面相から、修験服に至るまで漆黒に染まった黒天狗をね。
ありゃ、晩刻ならば、見事に闇に溶け込んだことでしょうよ。けど、明々とした晴天の界隈じゃ、異形にも程がある。
皆の目が釘付けでしたよ。私自身もその例に漏れず……
──筆が止まりませんでした。
天狗なんて描く機会、あの頃は、そうそうあると思っていなかったんでね。
描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて、描きたくて──
体中がぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくくぞくぞくぞくぞくぞくぞくぞくして──
「天狗じゃ、天狗じゃ」
「どうした」
「天狗だ。こんな地べたを天狗様が走っていやがる」
「子どもをさらいにでも来たのかもしれねぇ」
にわかに騒然とする人と人の間を縫うように、天狗は歩を進めていました。
「何だおめぇは!」
どこぞの親分さんが、十手を携えてそれの前に立ち塞がろうとしましたがね。天狗は眼前の木綿店前に出された天水桶を足場にすると、ふわりと屋根上に飛んでしまったんです。
その背にそれとおぼしきものは見当たりませんでしたが、まるで見えない翼でも生えているかのような動きでして──見ている方は、呆気に取られていましたよ。
そして天狗は俊敏に再度駈け出すと、眼下の人々にあれを撒き散らしたんです。
「なんだ、なんだ」
「下手に触れるな! 天狗の落とし物なんざ、ろくでもねえものに決まってら」
親分さんがが声を荒げて警告していましたが、
寸刻も置かずに皆好奇心に負けて、宙を漂うものを手に取り出しました。
藁半紙に、荒削りな版から摺られたとわかる墨字。一隅に捺された天狗の顔を象った朱印。
「──瓦版?」
それを見やっていた人々は一様に首をかしげていましたよ。
まあ、わけわかりませんよね。
なぜ、このような往来に堂々と天狗が姿を現しているのか。
俗世とは切り離されたお山に住まうはずの存在が、なぜ市井の俗悪を書いた瓦版なんぞをばら撒いているのか。
皆揃って、困惑の表情でお互いの顔を見つめ合っていました。
妙な空気が流れて、しばし悩んだ様子でしたが……まあ、そこは皆さん江戸っ子ですからねえ。次の瞬間には、問題は解決です。
「──面白え!」
「なんでお山の天狗が、こんなものを作っているのか知らねえが、〝天狗の瓦版〟なんざ見たことも聞いたこともねえ」
「余りはないのかい? 私にも見せておくれよ」
楽しめるものは楽しめ──
初物は誰よりも早く手に入れろ──
細かいことは気にするな──
どれも江戸っ子の典型的な物の考え方であり、処世術でしょう?
先刻、天狗に虚仮にされた体になる親分さんは声を荒げておりましたが、耳を貸す者はどこにもおりませんでした。
ひひっ。これが、私の見た千《せん》耳《じ》天狗の事始めですよ。その後はあなたも知っているでしょう? 天狗はあちこちに現れては、瓦版を撒き、私らに真を告げていく。
気をつけろ、千耳の耳はどこにも生える──
今日も明日も明後日も──何故か? そんなことは私も知りませんよ。
そこら辺は、あなたの方が詳しいんじゃないですか?
ひひ、ひひ、ひひ、ひひ、ひひ──
#
──あれが起こったのは、三日前のことになるか。
元から、殺されたお島という女は壊れていたらしい。
まあ、女郎屋の女というのは、体も心も痛んでいるのが常なんだがな。狭苦しい不浄な場で枕をひしめき合わせ、体も心も腐らせていく。哀れ、哀れ──
殊に、お島という女は心を壊されていた。
かの女のいた千鶴屋というのは、本所深川にある岡場所だ。
がははっ、しかめ面を致すな。
天保十三年の取り払い令をもって、深川の悪所は総じて除かれたいうのが建前だが、真実は異なること位はお主も知っているだろう。
料亭だ何だという表看板を掲げて、その商いを続けている店は今でも少なくはない。我らの同輩の中にも、足繁く通っているものがおるぞ。
実際、お主はそちらの方はどうなのだ? んっ? あまりに堅物っぷりにあちらの噂も立っておるぞ?
と、と、待て待て! その振り上げた十手を下ろせ……! 本気でやられたら、脳天かち割れるぞ。
と、とにかくだ。
千鶴屋は表向きは高級料亭を装っていた。
実際、相応の腕を持つ板前が廚《くりや》で腕を奮っていたし、料理のみ口にして女に手をつけない客もそれなりにいたそうだ。
儂も立花殿に頼まれて現場に赴いたが、調度も大層なものでな。きらびやかさでは吉原の総籬にすらひけをとらぬかもしれぬ。
何、総籬になんぞ行ったことがあるのかって? まあ、ちょいとな……
さて、お島は住み込みの遊女とはいえ、一室を与えられていたし、そこそこ扱いは良かったらしい……あくまで他の岡場所の女と比べての話だが。
主は貸本屋や小間物屋など女たちの楽しみになる商人は細めに日参させていたし、女たちの悩み事にもできうる限り耳を傾けていたそうだ。
そうだな。あのような商いをしている店の主にしては、良識的な部類だろう。無論、かといって女達を籠から放すことはせなんだが。
お島という女を壊したのは、店の者でもなく、客でもない。身内の者だったそうだ。
元々は武家の息女でな。ある男にそそのかされて十六の時分に駆け落ちしたらしい。とはいっても、江戸の外に連れ出されてすぐ、女衒の男に引き渡された。
つまり、最初から相手の男はそういう魂胆だったんだろうよ。
世間知らずの若いお嬢さんを愛欲に溺れさせて、売り飛ばす。とんだ鬼畜のいたものだ。
遊女に身を墜としたお島。当然二親に知られることは望んでおらんかったろうが、江戸は狭い。親類の者から噂が回り、そう日を置かないうちに父が座敷に踏み込んできたらしい。
「恥知らず」
一言。ほんの一言だったそうだ。──他の女が言うには、お島に何の言い訳も許さず、父はその言葉だけを告げると、部屋を出ていったそうだ。
ま、ここまでのいきさつを聞けば、その一言が若い娘を壊すに十分な重みを持っていたことくらいはわかるだろう。惨い、惨い。
ま、実の娘だ。父とて家に引き戻したい気持ちはあっただろう。しかし、男と逃げた挙げ句に本人が望んだわけでないとはいえ、苦界に身を堕とした娘だ。武家の家長としては、再び家に迎え入れることはできなかったのだろうな。
何にせよ、お島は壊れた。
壊れた者のその後の生き方というのは、大概ふたつに分かれるな。自分自身を自分でさらに壊すか、あるいは他人を壊すことに傾倒するか。
周囲の者が語るに、彼女は後者だったようだ。
自分自身を顧みて、いかに人という者がたやすく壊れるかということは承知していたのだろうな。
手練手管という程のものでもない。少しばかりの甘言。
そして、小金で籠の外での己の手足となる人間。これは、何人かそういった者の存在が認められている。
それらを役して、お島は巧みに自分の贔屓になった客を壊していったらしい。
ある者は財を、またある者は家人との絆を、名声を、思い出の品々を、次々と壊された。
不思議なものだ。
客の男とて、皆、お島が裏で糸を引いていたのは察していたのよ。しかし、手酷い壊され方をした男程、いよいよもってお島に執着したらしい。
お島という女は物の怪よ。
しかし、それにすがりつき、身の内に毒を流し込み、壊してくれと、懇願する男どもが後を絶たなかったというのだから、厄介至極。
双方合意の上なら、これは悪か? お主はどう思う。
壊され、壊すことに執着するようになった女と、それ群がる男共。
歪みだらけよ。
無論、男の中には意趣返しをせんとした輩もいだようでな。主の方も、いつ刃傷沙汰になるかと、はらはらしていたそうだがな。まあ、まさかあそこまで凄惨な最期になるとは、予期していなかっただろうよ。
その日、主が言うには、お島は武家の若造を客にとっていたらしい。何でもある藩の上役の息子で、主はお島を客前に出す際に、武家相手に無茶はするなと、改めて釘を刺したそうだ。
見るからに垢抜けない、野暮を絵に描いたようなお坊っちゃんで、遊び慣れていないのは自明だった。
腹の無い輩だったらしくてな。何でも、床に入る前に用を足すと逃げだして、そのまま雪隠に籠もりきりだったらしい。
お島の屍体を見つけたのは、そ奴よ。
ようやく決心がついて、部屋に戻ったらお島が見当たらない。あるいは業を煮やして別の客でも取りに行ってしまったのかと思いながら、部屋に灯りを入れて……腰を抜かしたのだそうだ。
部屋に点々と血痕がある。しかも乾ききらぬ真新しいものがな。
体をぶるぶる震わせながら、誰かを呼ばなくてはと狼狽したそいつは、それを見つけてしまった。
部屋は二階だったのだがな。そこからは千鶴屋の内庭に咲く満開の桜を臨むことができた。
朦朧とした月明かりの下、その根元に横たわる影がある。
お島だ──
間違いない。そう思ったのだそうだ。
余談だが、お島は桜を嫌っていたそうだ。
ことに千鶴屋に咲く桜は、店で吐き出される男女の精をすすって、美しい花を咲かしているようで気に食わないってな。
男どもの欲望に汚され、狂っていく女たちに対して何たる差か。
まるで自分たちが、桜の滋養を供出させるための撒き餌にされてるみたいじゃないか、と妄言を周囲に吐いていたそうだ。
皮肉なものだな。そんな嫌っていた桜木の根元で、お島は事切れていた。どくどくと、血を流してな。
対面した男は、小便垂れたらしい。
いや、対面という表現は果たして正しくはあるまいな。
桜の前に転がされた血塗れのお島の屍体からは、多くの男を惑わし、壊したその面相はごっそり削りとられていた。
面剥がし──儂も人殺しの場は数多く見てきたが、あれだけ惨いやり方は、そうはあるまいな。
ま、何にせよ、初めにそれを見つけた武家の若造。ありゃあ、しばらくは女遊びなんぞ出来たものじゃないだろう。
がははっ──っと……さすがに笑うのは不謹慎か。
長らく放置状態で申し訳ありません。
そして放置期間中に拍手入れてくれた方ありがとうございました。
でもうしばらくは放置予定です(死)いろいろ終わってから改めてここもどうする考えようと思います。
先日、母が巨大なヨドバシカ○ラの袋を持って帰ってきたと思ったら、中身はお友達から借りたと言うCLAMPの「ツバサ・クロニクル」全巻でだったとさ。
「この親にしてこの子あり」という言葉が身に染みて仕方ないです。
その数日前「いい加減、ツバサも買わないとホリックのストーリーわかんねくね?」みたいな会話を家族で(汗)してはいたんだが。
行動早いな。
でもきっと、自分も50代になっても漫画読むのはやめてないな、たぶん。
んで21巻一気読みしましたツバサ。
私は「ホリック」以外のCLAMP作品って小学生の頃姉が友達から借りてきてた「X」位しか読んでないので、他作品のゲストキャラクターとようわからんのだが。
序盤の健康的な少年漫画ティストより、途中からのダークティストの方が好きです自分。
キャラツボさ的には「お前は絶対、黒鋼と知世姫気に入るよ」という某御方の予言通りでした。
いや、まあ一番は侑子さんですが何か?
にしても途中からの展開は教育テレビじゃアニメ化できないわけだ、これ。
やられたっ!ほんといろんな意味でやられたラストでした!
たぶん解釈その他いろいろ論議がある最終話だとは思うけど、もう圧巻のでき!
正直言って完全なハッピーエンドにはならないかなとは、思っていた部分はあったんです。
あれだけ人が死んだ後でニア一人助けてハッピーエンドは今までの脚本の抜け目のなさから言ってやらないだろうなあという予感が……
にしてもまさかニアが消滅するEDだけは予想だにしていなかったですよ!
もう涙腺崩壊。
途中でフラグが立ったときも万が一があっても螺旋力で蘇るだろうという安直な期待がありました……
それだけにギミーの台詞を否定するシモンがほんとに痛々しくて。
あのギミーの台詞は視聴者の代弁でもあれましたよね。
多次元から物質を取り出し、宇宙創造の力すら持つ螺旋力なら、死者でも蘇らせられるんじゃないかと。
まあ実際、前話の各種パラレル世界が証明していたように、可能性の分岐した別次元の同一存在を螺旋力で呼び戻したとしてもそれは死んだものとは別の存在だし、根本的な存在が本来「ありえなかった」ニアはなおさらなんだろうなあ。
第2部の終盤の頃、もしニアが死んだらシモン首つるかもしれないみたいな事を日記に書いた記憶があります。ラストのシモンはけしてそんな事しない程に人間的にたくましくなったけれど、なんだかその強さがとても切なくもありますね……なんだろう、アニキのときみたいに泣きじゃくってくれた方が観てる側としては悲しみが中和された所があるかもしんない。
戦闘のクライマックスで1分1秒毎に俺達は進化するみたいな台詞がありましたが、以前読んだ物理の本にも生物はミクロ秒単位で流動・変容するもので自我の感覚すら超えて常に「別の存在に進化し続けている」のだという記述がありました。
螺旋力はすなわち変化の力なわけだから、それを肯定する以上は過去に失ったものに依存し続けてはならないわけで。
この作品での螺旋生命の定義を考えると、第2部でのシモンまた、第3部以降のロシウの過去からの解脱も本当に練られた構成だったんだなあと感じます。
ラストの中年ロシウのアゴ割れと中年シモンのカットは私は比較的前向きに捉えたいなあと思います。なんだかんだで戦場に出てなんぼという感じだったシモンが、全てを後輩たちに委ねて隠居もとい浮浪しているというのはそれはそれで有りかなあと。
第3部序盤のニアへの告白の中でも総司令や英雄なんかといった肩書きから離れて一緒になりたいみたいな表現をしていたし、穴掘りシモンに戻るというのはある意味自由になるということでもあるわけですから。まああの全てを悟りきったかのようなあの表情が幸せに映るか不幸せに映るかはまた難しい問題なんだろうなあと思います。
宇宙レベルの英雄になってもてはやされて終わりではないというのはいろんな作品へのアンチテーゼにもなってますよね。
とあとロシウの顔の司祭様化はやっぱ実は司祭様の息子でしたという単純な解釈でよかでしょうか。ロシウのいたあの村での司祭様の役割からすると子供ができたでそう簡単に認知できず、仕方ないからそばに仕えさせる形で育てたという事で。でももしあの2人の関係が親子だとすると第5話のでのロシウの母に関する会話ってほんとにもの悲しいですよね。
総評として……つくづくたった半年間という期間が信じられない密度感とパワーにあふれるあふれるアニメでした。ロボットアニメでしかもこのハイテンションな風合いの作品で少年時代からラスト中年まで主人公の半生を丹念に描いた作品というのは前代未聞なのではないでしょうか。スピード感あふれる、だれる事の無い構成展開は作今のアニメの模範になりうるものだと思いますよ。また美術面も密度の詰まった4部構成ということでほんの1,2回しか出番のないようなメカやキャラまで丹念にデザインされていて、毎回毎回あっと驚くヴィジュアルは鳥肌ものでした。
最後にシモニア厨的発言をすれば、7年間の2人のラブラブエピソードとかもうちょい見たかったぜえ~!!!ぜえ~!!!!(テンション抑えられなくなりました)
えとあとよく各所で論争されてるけど、私はシモンとニアは最後のあのキスシーンまではプラトニックラブな関係で手つないだりとか以上はあんまりしてないと思います。シモンのあの律儀な性格を考えれば、きっと結婚まではって自制していたに違いないかなと。
他のアニメ最終回の感想(短文で)
ぼくらの……ゲームの支配者、完全者放置には吹いた。アンコのエピソード以降はやっぱだれた感が。この世界観で原作終わってないんじゃ、まとめきれないのは致し方ないかな……
黒の契約者……戦いは続く!EDだったけど、伏線も回収しきって良い具合にまとまってたました。今まで見たボンズのアニメはいつもオチに難有りだったからこのできならほっと安心。全体としては序盤のハードな展開より、中盤以降のわりかし叙情的な展開が好きです。
デビルメイクライ……ダンテかっこいいよダンテ。それに尽きます。ストーリー的な複雑さは無かったけど画面構成はほんとにスタイリッシュでかっこいいアニメでした。良作画・両動画。
精霊の守り人……無難(笑)良い意味でも悪い意味でも安定した作品でした。ファミリー向け作品って感じ。